運命

今日も労働してまいりました。
近文の働くツタヤは、お世辞にも繁盛しているとは言えません。
まぁそれなり・・・です。
とはいえ今日は特に暇でした。
6時開始のシフトだったのですが、5時半にバイト先について、45分ごろでしょうか・・・カウンターが異常に混んでいたようで、まだ開始時間になっていないにも関わらず駆り出されました。
仕方が無いのは分かるのですが、出来れば給料をもらえる時間外は働きたくないのが人情です・・・。その時以外は非常に空いていて、それが逆に時間が経つのを遅く感じさせました。
長い長~いバイトでした・・・。

中学生のとき、音楽の授業でベートーベンの「運命」が出てきたとき、先生が言っていました。
「この曲の最初のじゃじゃじゃじゃ~ん!の部分は、運命のドアをノックする音を表している。」
この上なく信憑性にかけるお言葉ですね・・・。本当かどうかは結局分からずじまいです。

よく、運命を信じますか?という言葉を耳にします。映画、ドラマ、雑誌の占い欄・・・。
さて、あなたは信じますか?
近文は、ある意味で信じますが、またある意味では信じません。
近文が思う運命はこうです。
例えて言うなら、運命は「あみだくじの連続と交錯」です。どれを選ぶとどのルートを進み、どこにたどり着くか決まっているのがあみだくじですが、運命はそれに似ているのではないでしょうか。
選択する前は、無限の可能性があります。しかしひとつの道を選択することによって、選択肢が狭まり、ひとつのルートが決まります。しかし運命とあみだの違うところは、その選択がいくつもあるということです。幾たびの選択の連続を繰り返して、決まったルートと結果に向かっていきます。ひとつの区切りのつく選択もあれば、人生を左右する大きな選択もあり、それらが交錯しています。
「どれを選べばどうなるのか」は決まっているけれど、「どれを選ぶのか」は決まっていない。
これが近文の運命に対する考え方です。

「もしあの時こうしていたら」というのがテーマの映画もたくさんあります。小説やドラマや音楽の分野にもあるかもしれませんが、いかんせん近文は映画が得意でその他は不得意なのです。
挙げようと思えばいくらでも出てきそうですが、今思い浮かんだのは『天使のくれた時間』です。
かの名優、ニコラス・ケージ主演のラブストーリーです。
若いころ、仕事を選ぶか彼女を選ぶかの岐路にたたされ、結果仕事を選んだために、大成功を収め、莫大な資産を持った男が、ある朝起きると、仕事を取ったがために分かれてしまった彼女と、なぜか一緒に暮らしているのです。この朝が「天使がくれた時間」の始まりでした。結婚していて子供も二人いました。幸せな家庭を持ってはいたけれど、決して裕福とは言えない生活でした。あまり書くと見ていない人にとってはネタバレになって怒られそうなのでこのへんで・・・。
この映画もまさに、「あの時こうしていたら」ですね。
しかし、「あの時こうしていたら、もっと良かったかもしれない」という考え方は、すなわち、「あの時こうしていたら、もっと悪かったかもしれない」というのと同義です。

「ある」とも「ない」とも証明できない物を信用する、または信用しない理由を、論理立てて説明することは出来ませんが、そこは宗教と同じです。存在の有無に関係なく、ただ信じるのみ。
近文はたまたま、運命をある意味で信じ、またある意味で信じないという曖昧な答えを持っていますが、証明できないのだから各々の考えがあっていいのです。

・・・とは言え、やっぱり考えてしまいますね。
あぁ・・・もしも今日もう少し家を遅く出ていたなら、
時間外労働を強いられることもなかったのかな・・・。
[PR]
by kinbun-r | 2005-11-09 01:50


<< いろは リアルとネット >>