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RS

スクリーンショットを貼り付ける方法が分からなかったというだけの理由で、
RSについて書くのを避けてきましたが、友達に教わってついに貼り付け方をマスターしました。
記念すべき第一回はささやかな自慢から入ります。

ちょっと前にたった一人でソロ活動に勤しんでいた昼下がりのことです。
ドロップしました。
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バイト先の先輩と遊びに行く前で、電話片手にターン狩りしてました。
貧乏性なのでミスリルはNでも拾います。拾ってみたらこの表示。
びっくりして電話口に「うおっ」って言っちゃいました・・・。
詳細がこれ。
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まさか最高数値とは・・・。
売ろうかとも思いましたが、健康的なビショップに戻ってから装備すべく、
コツコツ少しずつエンチャしていくことにしました。

ギルド戦で死ににくくするために、HPを上げるほうが手っ取り早いわけですが、
今まで防御を上げることをあまり気にせずきたので、健康に戻す日が楽しみです。
HP効率の鎧とエンチャ後のムーンライトストーカーと、
どっちのほうが、いわゆる「硬い」キャラになれるのか。
仮に今の健康状態でこれを装備してギルド戦に出ると、
十中八九即死します。

今まではただだらだらとLvを上げて、今より硬くなれる装備を手に入れたら装備し、
どのスキルを上げれば役に立てるのかだけ考えてきましたが、
ただそれだけではちょっとLv上げがしんどくなってきました。
硬くなれる装備といっても、上を見ればきりが無く、
スキルは正直「なくてもいい。あったほうがいい。」のあたりまで来てしまったため、
SPがたまり次第適当に振る感じです。振らなくても振っても、さほど違わないんですね。
ギルドでの役回り上、エレを優先して、アーチを上げずにいました。
ついこの間までSPが5000近くたまっていたので、
アーチを上げるかディスペルを覚えるかでかなり悩みましたが、
結局はアーチを上げました。あくまでも支援特化ビショでありたいと思います。
でも殴れるのは愛嬌です。
Lv上げに関していえば、飽きもあるし、そろそろ考えて狩りをしなければ、
単純にLv上げのために狩るというのは、正直辛いです。
新しい楽しみ方を見つけたいと思います。
「早く強くなるために効率を上げる」のが常道と思われますが、
そういった理由からなのか、近文は本末転倒してしまいました。
「効率を上げるために強くなる」のが当面の目標です。
殴り用の武器・・・ひどいですから・・・。
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by kinbun-r | 2006-06-20 05:39

記録の中の記憶

友達がブログを見てくれています。
RSで知り合った友達が、RSに無関係なことしか書いていないこのブログを
わざわざ時間を割いて見に来てくれている。
こんなにうれしいことはありません。

書くことが思い当たらないです・・・。
最近、少しはRSについても書こうかなという気になってきました。
他の人のブログに比べれば、役に立たないことしか書けないのでしょうが、
RSをやっている記録として書くのもいいかな。
SSを貼ればアルバムになるし、
文章を書けば日記になるし。

近文はあまり写真を撮りません。
どういう顔で写ればいいんだろうとか、どういうポーズをとればいいんだろうとか、
それが分からないのも理由のひとつですが、
写真を残したりせずに、記憶にとどめるのもいいと思うんです。
補助輪があると、補助輪に頼ってしまって、なかなかうまく自転車に乗れなくなることがあります。
同じように、写真などに収めてしまうことで、
大事な思い出が、薄れやすくなるのではと思うと、
あえてそういう「形に残す」ということをしないもの手かなと思うのです。

近文は奈良県に住んでおります。
近鉄奈良駅から、徒歩10分~20分ほどのところに、
有名な五重塔というものがあります。
5段重ねになった塔です。
おそらく写真などで見たことがあるでしょうし、
全国にあるものなので、おおよそ検討がつくと思いますが、
奈良の興福寺にあるそれは、現在のもので6代目だそうです。
焼失復元などを繰り返して今に至ります。
それはいかがなものかと思うのです。
そこにそういったものがあったという事実は、
文章に残すだけでよいのではないでしょうか。
模型を置くのもいいのですが、あえて1/1サイズで復元し、
「これが五重塔だ」と世界に誇るのはどうなんでしょう。
五重塔のある場所は、五重塔跡であるべきだと考えます。
五重塔跡には、記念碑を作り、崩れた塔の残骸がある。
それを見た観光客は、
数百年前、ここにはそういう建造物があったんだなぁと夢想します。
それでいいのではないかと思うのです。
いくら復元しようと、それはすでにそれではありません。

記録より記憶です。
語り継がれ、受け継がれる記憶のなかに、
思い出も歴史も刻まれてこそ、本来の姿を残すのではないでしょうか。
ひとたび形にしてしまうと、再構成されたそれは、
改竄されているやもしれません。
文章などで残された情報・記録を元に、
もっと頑丈に、もっと綺麗に、もっと分かりやすく。
そうして復元されたものは、もはや復元ではなく、改変です。
記憶の中の本来の姿を残したいものです。
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by kinbun-r | 2006-05-20 06:31

表裏一体

バイト先にそりの合わない後輩がいます。
仕事もせず喋ってばかり。
喋っていたせいで仕事が進んでいないのに、
時間がなくなると人に自分の仕事を割り振る。
店のやり方があるにもかかわらず、我流で進めるために後々周囲を困らす。
あげればきりがありませんが、これは単に私が嫌いなだけとはいえないのではないでしょうか。
非常識だと思うのは近文だけでしょうか・・・。

過去の強烈な記憶が、突如、何かの拍子に思い出したりよみがえってくることがあります。
それをフラッシュバックというようです。
形はさまざまですが、夢という形で出てくることも多いようです。
あまりの強烈さに、その記憶は改竄されたり、削除されることもあります。
それがあることをきっかけによみがえる。
忘れたり書き換えることによって、心をコントロールし、守る作業が、記憶喪失の正体だったりします。
頭をぶつけたりするなどの、外的な要因もありますが、
映画や本などで、知識の上で身近なのは、心的要因でしょう。

近文は記憶喪失は未経験ですが、同じように鮮明な過去の記憶というものはあり、
それが夢や何かの拍子に表出することがままあります。
幼いころは、人並みにとは言えないほどに、よく事故にあいました。
単にドジだと言ってしまえばそれまでですが、注意散漫なのかもしれません。
同じことですね^^;
幼稚園か小学1年のとき、車にはねられました。
飛び出したために起きた事故であったため、こちらの不注意です。
不思議なのは、左側から来た車にはねられたにもかかわらず、なぜか後方にとんだことです。
近文は根っからの文型なので、力学は分かりません。
今でも不思議です。
そのせいか、横断歩道を渡るとき、右側から来る車には何も感じませんが、
左側から来る車は少し怖いのです。
フラッシュバックというほど大げさなものではありませんが、
それもまた、過去の記憶によるものではなかろうかと思います。

近文は狭い場所が苦手です。
圧迫感には耐え難いものがあります。
物理的な圧迫感然りですが、精神的な圧迫感も例外ではありません。
車にはねられたのと同時期、近所のお兄さんに、
ゴムプールの中に私を入れたまま、ゴムプールを折り曲げ、
サンドイッチのようにして中に閉じ込められました。
出られない。狭い。息苦しい。
やはりそういった経験からなのでしょうか。
未だに狭い場所は苦手です。
エレベーターでも早く出たくてたまりませんし、
そういった物理的な閉鎖空間のみならず、
卒業式などの、途中退室出来ないという、
精神的な束縛もまた、圧迫感を持ちます。
逃げられないだとか、出られないだとか、
間接的な閉所とでもいいましょうか、
物理的なそれよりもむしろ、そういった精神的なもののほうが、
耐え難いもののように思います。
三つ子の魂百までという諺がありますが、こういったこともそのうちなのかもしれません。

バイト先の店長が、後輩のことについて言っていました。
どうやら彼は、昔いじめられていたようです。
店長の見解では、そういった経験が、彼の性格が歪む原因になったのではとのことです。
周囲に迷惑がかかっている以上、それは言い訳にすぎませんが、
やむをえない部分もあるのでしょうか。
左から来る車が怖いことや、狭い場所が怖いのを、
何とかしろと言われても、なかなか出来ません。
彼もそういう意味では、よく喋るその様子とは裏腹に、
対人恐怖症の一面があるのかもしれません。
心の中と行動は、えてして外から見ると、相反するものであるように思います。
周りから見れば、仕事もせずよく喋る人でも、
実は人と接することを、とても恐れているのかもしれません。
人は見かけによらないと言いますし、彼もまたそうなのでしょうか。
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by kinbun-r | 2006-05-04 05:12

忘我の末に

夢を持っていました。
未来の自分がそうなるものと思い込み、
疑いもしませんでした。

大きくなりました。
可能性を知りました。
妥協を知りました。
挫折を知りました。

大人になりました。
夢は絶たれました。


詩みたいになってしまいました・・・。
誰もが夢や理想を持って日々すごしています。
子供のころは、夢と予知(とでも言うのか)が同義でした。
○○になりたい=○○になる だったように思います。
みなさんはどうですか?

夢に限らず、元々持っていた、こうありたいだとか、こうあるべきという、
ある意味で自分の中の正義が、
現実を知っていく工程で、薄れていくのを実感します。
理由はさまざまですが、環境然り、交友関係然り、進路然りです。
近文はまだ、人間としては新人なのでしょう。
20歳年上の方、30歳年上の方、40歳年上の方々から見れば、
私が何を言おうと、「まだまだだな」「若い若い」「何もわかっていない」
と思うかもしれません。
では何歳から「わかる」のでしょうか。
目上の方々が、人生の先輩であり、尊敬すべきであることは承知していますし、
実際頭を垂れる心持で接しています。
しかし、例えば30歳上の人が私をまだまだと思うのと同じように、
その人より30歳上の人が見れば、その人すらまだまだなのでしょう。
有限の命の中で、どこから「わかった」ことになるのか、
そもそもその線引きは可能なのか。

話がそれました。
本来持っていた自分の中の正義が、
あらゆる要因によって歪んだり崩れたりしたとき、
それを挫折といいます。
夢を持って生きろとよく言われますが、
挫折を避けるべく、夢を持たないことも、
その人の中では正しい選択なのです。
それを寂しいと思うのは周囲の見解で、
当人にとってそれがいいのであれば、
間違いではないのです。
要は、得られることを選ぶのか、失わないことを選ぶのかです。
自分の中の正義の持ち方によって、どのような結果が出ようとも、
それはすべて自分の選んだ道によってたどり着いたものである以上、
素晴らしいものといえます。
気持ちの上で、積極的な姿勢を持つか、消極的な姿勢でいるかを選んだ末、
良い結果が出ようとも、悪い結果が出ようとも、
いずれくるかもしれない「わかる」瞬間へとつながっているのでしょう。
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by kinbun-r | 2006-04-27 00:12

神道

今日のお題は「宗教」だそうです。
高校の時、倫理の授業を受けて、少し宗教に興味を持ち、本を読む中で多少の知識を得ました。
宗教と一口に言っても、多種多様なものがあります。
日本はもともと仏教国ではなく、独自の宗教、神道を持っていました。
神道の、他の宗教と大きく違う点は、多くの神がいることです。
その数なんと八百万といわれています。
神道には全知全能の神というものはおらず、万物に神が宿るというものです。
他宗教と共通して言えるのは、神道の神もまた、人間にとても似ている点です。
泣き、笑い、怒り、悲しむ。
驚くべきことに、神の血を引いている家系があるのですね。
それが天皇家です。
インターネットや図書館で調べれば、神から天皇までの家系図を知ることができます。
伊弉諾尊と伊弉冉尊が、われわれの直接の祖先となる、いわゆる人間ですが、
神というわけではないようです。
それは、両者が、天皇家の直系ではないからなのだそうです。
神が始まりで、伊弉諾尊と伊弉冉尊が最初の人間であるにも関わらず、
人間である天皇家の直系ではなく、天皇家は神の子孫。
摩訶不思議ですね。
人間と神が同時にいて、神の子が天皇家、最初の人は作り物ということでしょうか・・・。
その後、日本史では天皇家が出てくるまでの間、神の子孫と思われるような人物は、
出てこなかったように思うのですが、それは日本史の授業を寝ていたからなのでしょうか・・・。

かのマッカーサーは、日本を占領した後、天皇を殺さずにいた理由が、
日本という国において、天皇の存在は、意識の上で「王」ではなく、
「神」に近いものであると感じ、殺せば暴動が起きると考え、天皇家を残したのだそうです。
日本人が天皇家を神とするならば、税金の一部は神への貢物でしょうか・・・。
天皇家を批判するつもりはないので、この辺にしましょう。
すでに十分非国民ですね・・・。

怖いと思うとき、不安に思うとき、つらいときに、人は心のよりどころを探します。
神道もまた、他宗教と同じように、混沌とした気持ちのよりどころとして定められたものであるはずです。
天皇家が神の血筋であるのは、よりどころを失いたくなかったからでしょう。
私個人は無宗教なので、神の存在を信じているわけではありません。
天皇家は神の血筋というのは、そういった、よりどころを失いたくないという気持ちが生んだ、
後付された事実であると考えます。
それは確認できるものではありませんが、仮に真実でなかったにせよ、
それで救われるのであれば、それが事実であるべきでしょう。

人を救うのは神ではありません。
神を信じ、救われたいと願い、救ってくれる存在を意識化で作り出す気持ち。
それこそが神であり、人を救う絶対的なものなのです。

神道ではありませんが、仏壇で、花を生けるとき、花を仏のほうに向けず、
拝む人間のほうに向けて生けるのは、
仏の像がすなわち仏ではなく、仏は人の中にあると考えるからこそです。
神と名を変えても、仏と名を変えても、
その絶対的な、人を救う存在は、常に人の中にあるのです。
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by kinbun-r | 2006-04-17 02:34

幻想世界

さる人から「お化け」とお題をいただいたので、
今日はお化けについて語ります。

お化けと妖怪は、たびたび混同されがちですが、違います。
妖怪は化けて出るとか、実態が無いというものではありません。
火の玉も飛ばないし、墓地に良く出るわけでも、夜出るわけでもありません。
いたるところに現れ、時に人々をおびえさせ、時に人の役にたつ。
そんな人間味のある生き物です。

お題が「妖怪」ではなく、「お化け」であるため、お化けに絡めた逸話を。

近文は、某大手レンタルショップでアルバイトをしています。
かれこれ1年半ほど続けていますが、一度こんなクレームがありました。
家で借りたビデオがデッキに詰まったとのことです。
それ自体は少ないものではありません。
しかしその人の借りたビデオというのが・・・。

「呪われたビデオ」

ついてないとしか言いようがないですね・・・。
想像してみてください。家で呪いのビデオを見ようとしたらデッキに詰まる・・・。
確かに怖いですね^^;
心から同情します。

たまにテレビで、心霊写真などの特別番組や番組内のコーナーがありますが、
私は見るたび、そう見ようとするから見えるのではと思います。
近文、お化けの存在を信じないつもりですが、夜道を歩いていると、
後ろに誰かいるような気がしたり、お化け屋敷が怖かったり、
ホラー映画を観たあとでトイレに行くのが若干怖かったりというのは、人並みにあります。
となると、信じないというのはイコール信じたくない、あるいはあってほしくないという、
恐怖心からくるものではなかろうかと思います。

実際、お化けはいないと立証することは出来ないでしょう。
そういう意味では、お化けもいるのかもしれません。「いる」ではなく「ある」でしょうか・・・。
臨死体験なども、少ない話ではないし、私の祖父も昔火の玉を見たと言っていました。

人は、視覚に依存しています。
目に見えるものは、それだけで存在を肯定されます。
多くの人は、お化けを見たことがなく、ゆえに信じません。
しかし、お化けを見た「かもしれない」人は、信用するでしょう。
目の前にあるものが、もしも目の錯覚だったなら。
目の前にあるものが、実はまったく別のもの、あるいはそこになかったら。

お化けもまたそのような曖昧なものではないでしょうか。
いるけれど見えないのかもしれません。
視覚に依存した私たちは、その存在を否定しますが、
見える=ある 見えない=ない
という感覚さえ取り去ってしまえば、無いと言い切ることは出来ません。

実は、この世の中が存在しているのかも、自分自身や、あるいは自我というものが、
存在しているのかさえも、至極曖昧なものなのです。
この世の中そのものも、そこにあるものも、すべて幻想だったら、
あなたはどう思いますか?

映画鑑賞が趣味の近文。
ここで参考映画を挙げてみます。
有名なので見たことのある方も多いでしょう。
「アザーズ」「マトリックス」「シックスセンス」
是非ご覧ください。
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by kinbun-r | 2006-04-15 03:29

春はあけぼの

はるはあけぼの やうやうしろくなりゆくやまぎは
すこしあかりて むらさきだちたるくもの ほそくたなびきたる

このブログは、COFFEE BREAKという名前になりましたが、
徒然日記というのも選択肢にありました。余談です。

春は明け方が綺麗である。だんだんと白んでゆく山際は絶景だ。
と、春は早朝がなんとも荘厳なすばらしい景観を持っていると言われますが、
近文、もっぱら春眠暁を覚えずで御座候。

もう寝なければと思いつつ、調子に乗って1日に2つも記事を書いたりしているから、
そのようなことになるのですね・・・。
みなさん、夜更かしには気をつけませう。
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by kinbun-r | 2006-04-14 02:44

羊が1匹羊が2匹。。。

まったく更新せずすみません・・・。
RSプレイ中に、友達との会話の中で、ブログを再度書いてみようと思うにいたりました、近文です。
何か書くネタはないものか・・・。

みなさん眠れないときどうしますか?
近文は基本的に読書なのですが、いかんせん逆に目が覚める・・・。
読み進むうちに、次はどうなるのか、気になって余計に集中してしまうんですね。
小説じゃなくて、六法全書でも読めばいいのだろうか・・・。

多くの人は知っていると思います。
羊が1匹羊が2匹・・・っていう催眠方法(?)を。
効くわけがないと分かっていつつも、ちょっとやってみたくなったりしませんか?
最高何匹数えた!とか、小学校のときはちょっと張り合ったりしました。
あれは元々、英語のsheepとsleepの音が似ているから、sleepからsheepに移り、日本に渡って羊になったようです。どの時点で羊になったのかは知りません。
なので、英語で数えて初めて、暗示の効果があるんですね。
いくら羊を数えても、眠れるわけはありません・・・。

近文の場合、羊の登場の仕方などにバリエーションがあります。
最初は、ただ羊が走ってきて、柵を飛び越えて去るだけです。
でも飽きてくるので、たまに丸刈りになった羊が現れたりします。
うまく柵を飛び越えられず、激突する羊もいたりします。
それにも飽きてくると、今度は視点が上空に移ります。
上空から牧場を見下ろしている視点です。
牧場内を羊が走り回り、土煙で数字を描いてから走り去るというパターン。
あげれば他にもたくさんあります。
でもやはり眠れません・・・。
いろいろなパターンを考えているうちに、楽しくなってきて眠気が逆に飛びます・・・。

ついこの間、眠れないことがあったのですが、それとは違う理由で目がさえました。
羊が1匹羊が2匹・・・。
いろんなパターンで数えていたときのこと、40匹目くらいでふと気づいたんです。

羊ってそもそも単位は匹だろうか・・・。

気になりだすともうだめです。完全に目が覚めてしまいました。
羊は1頭2頭だと思うんです。なぜ1匹2匹と数えるのか、知っている方がいましたら、是非教えてください・・・。

気になって仕方のないことはよくあります。
でもえてしてそれは、さほど気にするほどのものでは無いようです。
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by kinbun-r | 2006-04-13 12:46

聖なる夜に思いを馳せて

12月24日の夜。トナカイの引くソリに乗って、白髭の老人が世界中にプレゼントを運びます。
煙突から家の中に入り、ベッドの脇にかけた靴下の中にプレゼントを入れて去っていきます。
小さいころ、サンタクロースはいると、誰もが信じていましたが、
大きくなるにつれて信じなくなっていきます。
自分の父親が枕元にプレゼントを置いていくのを見てしまって以来というのが多いようです。
近文も昔見てしまったことがあります。
そもそも1晩で世界中を回るなんて不可能なわけです。
ではなぜ、サンタクロースには出来るのか。

うろ覚えなので間違っているかもしれませんが、クリスマスの逸話があります。
かの有名なニューヨークタイムズ紙に、1通の手紙が届きました。
差出人は小さな男の子だったそうです。
クリスマスが近づいて、学校で友達と話していると、
友達がサンタクロースなんていないと言いました。
サンタクロースはいないんですか?
という内容だったそうです。
翌日のタイムズ紙に、その手紙と返答の記事が載りました。

相手を思いやり、愛する気持ちと感謝をもって、プレゼントを渡す行為をサンタクロースと言う。
だからサンタクロースは、住所を知らなくてもやってくるし、1晩で世界中を飛び回ることは可能。
もしも少年がサンタクロースを信じ、周りの人を大切に思う気持ちさえあれば、サンタクロースは存在する。

記事はこういった内容のものだったようです。

近文の妹はまだ11歳なのですが、やはり例に漏れず、
学校でサンタクロースはいないという話を聞いたようです。
そのとき私はこういいました。
サンタクロースをもし信じるなら、サンタクロースはいるし、サンタクロースがいても信じないのなら、サンタクロースはいない。信じる気持ちこそがサンタクロースなんだ、と。
臭い台詞ですが、夢を持って信じる気持ちを失ってもらいたくないと思います。

目に見えないものを信じている人はたくさんいます。
神を信じる人。占いを信じる人。奇跡を信じる人。
無いと証明することも、あると証明することも出来ません。
でも、それなら信じているかどうかによって、その存在は肯定できます。
サンタクロースを信じるのなら、やはりサンタクロースは存在します。
どうせいないと誰もが思っていたとしても、何百年経とうとサンタクロースが消えないのは、
人々が夢を失っていないからこそです。
もしかしたらいるかもしれない。いたらいいのになぁと言う気持ちがあるからこそ、
サンタクロースは生き続けます。
よってサンタクロースとは、サンタクロースを信じる気持ちそのもののことなのです。
もしも夜、サンタクロースの格好をした自分の父親が、
プレゼントを自分の枕元に置いていたとしても、
子を愛し、夢というプレゼントを箱に詰めて置いていったのだから、
父親はやはり、その時サンタクロースになるのです。

今年も12月24日の夜、世界中にサンタクロースが現れます。
サンタクロースを信じる気持ちと、人を愛し感謝を持ってさえいれば、
どこにでもサンタクロースはやってきます。
24日の夜には、世界中の人々の「信じる気持ち」が、
サンタクロースに奇跡を起こす力を与えるのです。
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by kinbun-r | 2005-12-17 14:22

((((;゚Д゚)))ガクガクブルブル

更新してません!
ごめんなさいil||li _| ̄|○ il||li
バイトから帰ってPCつけたらすぐRSやっちゃうもので・・・。
しかも書くことが無いって言う・・・。
ゆえに毎日更新なんてもう言いませんw
気が向いたら書きます┏○ペコッ

昨日バイト帰りに今年初めてオリオン座見ました。
冬だなぁと思いました。
今はくたびれた廃人と化した近文も、青春と呼ばれる時期がありました。
友達と真冬に外で話し明かすこともありました。
近文は案外星が好きで、詳しくは無いけれど、よく見ていました。
一時期は東の空にあった月が西側に移るまで、
ベランダでタバコ吸いつつ星見上げて首を痛めることも・・・。

季節を知らせるものは人それぞれにあると思います。
ある人はコタツが出たら冬だと思うかもしれませんし、
またある人は衣替えをしたら冬到来かもしれません。
私の場合はオリオン座です。オリオン座は秋にも見られますが、
やはりより空気が澄んでいる冬のオリオン座は別格で、
それを見ると冬だなぁと思うのです。
よって近文の冬は、昨日を持ってやってまいりました。

冬の一大イベントが迫っています。
クリスマスですね。
一人もんの近文にはあまり関係の無い行事で、
23日と25日にバイトが入りそうです。
というかその二日間は決定です。
負け組み近文は、クリスマスにツタヤで、
クリスマスを題材にした映画を借りていくカップルに、
笑顔というオブラートに包んだガンを振りまくわけです。
素直にクリスマスをバイト先で過ごすのもなんなので、
せめてもの反抗に、イブだけバイトを入れませんでした。
イブすら店長から、「どうせ関係ないんやから入ってよ」といわれる始末・・・。
確かに関係ないけど・・・「どうせ」って言うな!w
それに対して「どうせって何ですか^^;」と
苦笑い浮かべながら軽く言い返すことしか出来なかった近文は、やっぱり負け組みです・・・。
前に先輩が言っていました。
「どんな手段だろうと、恋人作ったやつは勝ち組で、何をうまいこと言うても、一人身やったら結局負け組みや」
それはつまり、近文はやはり負け組みっていうことなんでしょう・・・。
勝ち負けじゃないと、言うのは簡単ですが、所詮世の中勝ち負けですよぉぉぉw
ここで負け組み近文から一つ。
「出来ないわけじゃなくて、作ろうと思えば作れるけど、今別に彼女(彼氏)ほしく無いから。」
って言う人の9割9分9厘はいいわけです。
かく言う近文も言ったことがあります。
でも見栄を張っても仕方が無いわけです・・・。
正直バイトの給料の使い道がタバコ代のみっていうのも虚しいですw

元々クリスマスのコネタを言うつもりだったのですが、
長くなったので次回に持ち越します。
決して書くネタが無いからではありません。
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by kinbun-r | 2005-12-12 12:14