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記録の中の記憶

友達がブログを見てくれています。
RSで知り合った友達が、RSに無関係なことしか書いていないこのブログを
わざわざ時間を割いて見に来てくれている。
こんなにうれしいことはありません。

書くことが思い当たらないです・・・。
最近、少しはRSについても書こうかなという気になってきました。
他の人のブログに比べれば、役に立たないことしか書けないのでしょうが、
RSをやっている記録として書くのもいいかな。
SSを貼ればアルバムになるし、
文章を書けば日記になるし。

近文はあまり写真を撮りません。
どういう顔で写ればいいんだろうとか、どういうポーズをとればいいんだろうとか、
それが分からないのも理由のひとつですが、
写真を残したりせずに、記憶にとどめるのもいいと思うんです。
補助輪があると、補助輪に頼ってしまって、なかなかうまく自転車に乗れなくなることがあります。
同じように、写真などに収めてしまうことで、
大事な思い出が、薄れやすくなるのではと思うと、
あえてそういう「形に残す」ということをしないもの手かなと思うのです。

近文は奈良県に住んでおります。
近鉄奈良駅から、徒歩10分~20分ほどのところに、
有名な五重塔というものがあります。
5段重ねになった塔です。
おそらく写真などで見たことがあるでしょうし、
全国にあるものなので、おおよそ検討がつくと思いますが、
奈良の興福寺にあるそれは、現在のもので6代目だそうです。
焼失復元などを繰り返して今に至ります。
それはいかがなものかと思うのです。
そこにそういったものがあったという事実は、
文章に残すだけでよいのではないでしょうか。
模型を置くのもいいのですが、あえて1/1サイズで復元し、
「これが五重塔だ」と世界に誇るのはどうなんでしょう。
五重塔のある場所は、五重塔跡であるべきだと考えます。
五重塔跡には、記念碑を作り、崩れた塔の残骸がある。
それを見た観光客は、
数百年前、ここにはそういう建造物があったんだなぁと夢想します。
それでいいのではないかと思うのです。
いくら復元しようと、それはすでにそれではありません。

記録より記憶です。
語り継がれ、受け継がれる記憶のなかに、
思い出も歴史も刻まれてこそ、本来の姿を残すのではないでしょうか。
ひとたび形にしてしまうと、再構成されたそれは、
改竄されているやもしれません。
文章などで残された情報・記録を元に、
もっと頑丈に、もっと綺麗に、もっと分かりやすく。
そうして復元されたものは、もはや復元ではなく、改変です。
記憶の中の本来の姿を残したいものです。
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by kinbun-r | 2006-05-20 06:31

表裏一体

バイト先にそりの合わない後輩がいます。
仕事もせず喋ってばかり。
喋っていたせいで仕事が進んでいないのに、
時間がなくなると人に自分の仕事を割り振る。
店のやり方があるにもかかわらず、我流で進めるために後々周囲を困らす。
あげればきりがありませんが、これは単に私が嫌いなだけとはいえないのではないでしょうか。
非常識だと思うのは近文だけでしょうか・・・。

過去の強烈な記憶が、突如、何かの拍子に思い出したりよみがえってくることがあります。
それをフラッシュバックというようです。
形はさまざまですが、夢という形で出てくることも多いようです。
あまりの強烈さに、その記憶は改竄されたり、削除されることもあります。
それがあることをきっかけによみがえる。
忘れたり書き換えることによって、心をコントロールし、守る作業が、記憶喪失の正体だったりします。
頭をぶつけたりするなどの、外的な要因もありますが、
映画や本などで、知識の上で身近なのは、心的要因でしょう。

近文は記憶喪失は未経験ですが、同じように鮮明な過去の記憶というものはあり、
それが夢や何かの拍子に表出することがままあります。
幼いころは、人並みにとは言えないほどに、よく事故にあいました。
単にドジだと言ってしまえばそれまでですが、注意散漫なのかもしれません。
同じことですね^^;
幼稚園か小学1年のとき、車にはねられました。
飛び出したために起きた事故であったため、こちらの不注意です。
不思議なのは、左側から来た車にはねられたにもかかわらず、なぜか後方にとんだことです。
近文は根っからの文型なので、力学は分かりません。
今でも不思議です。
そのせいか、横断歩道を渡るとき、右側から来る車には何も感じませんが、
左側から来る車は少し怖いのです。
フラッシュバックというほど大げさなものではありませんが、
それもまた、過去の記憶によるものではなかろうかと思います。

近文は狭い場所が苦手です。
圧迫感には耐え難いものがあります。
物理的な圧迫感然りですが、精神的な圧迫感も例外ではありません。
車にはねられたのと同時期、近所のお兄さんに、
ゴムプールの中に私を入れたまま、ゴムプールを折り曲げ、
サンドイッチのようにして中に閉じ込められました。
出られない。狭い。息苦しい。
やはりそういった経験からなのでしょうか。
未だに狭い場所は苦手です。
エレベーターでも早く出たくてたまりませんし、
そういった物理的な閉鎖空間のみならず、
卒業式などの、途中退室出来ないという、
精神的な束縛もまた、圧迫感を持ちます。
逃げられないだとか、出られないだとか、
間接的な閉所とでもいいましょうか、
物理的なそれよりもむしろ、そういった精神的なもののほうが、
耐え難いもののように思います。
三つ子の魂百までという諺がありますが、こういったこともそのうちなのかもしれません。

バイト先の店長が、後輩のことについて言っていました。
どうやら彼は、昔いじめられていたようです。
店長の見解では、そういった経験が、彼の性格が歪む原因になったのではとのことです。
周囲に迷惑がかかっている以上、それは言い訳にすぎませんが、
やむをえない部分もあるのでしょうか。
左から来る車が怖いことや、狭い場所が怖いのを、
何とかしろと言われても、なかなか出来ません。
彼もそういう意味では、よく喋るその様子とは裏腹に、
対人恐怖症の一面があるのかもしれません。
心の中と行動は、えてして外から見ると、相反するものであるように思います。
周りから見れば、仕事もせずよく喋る人でも、
実は人と接することを、とても恐れているのかもしれません。
人は見かけによらないと言いますし、彼もまたそうなのでしょうか。
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by kinbun-r | 2006-05-04 05:12