今日のお題は「宗教」だそうです。
高校の時、倫理の授業を受けて、少し宗教に興味を持ち、本を読む中で多少の知識を得ました。
宗教と一口に言っても、多種多様なものがあります。
日本はもともと仏教国ではなく、独自の宗教、神道を持っていました。
神道の、他の宗教と大きく違う点は、多くの神がいることです。
その数なんと八百万といわれています。
神道には全知全能の神というものはおらず、万物に神が宿るというものです。
他宗教と共通して言えるのは、神道の神もまた、人間にとても似ている点です。
泣き、笑い、怒り、悲しむ。
驚くべきことに、神の血を引いている家系があるのですね。
それが天皇家です。
インターネットや図書館で調べれば、神から天皇までの家系図を知ることができます。
伊弉諾尊と伊弉冉尊が、われわれの直接の祖先となる、いわゆる人間ですが、
神というわけではないようです。
それは、両者が、天皇家の直系ではないからなのだそうです。
神が始まりで、伊弉諾尊と伊弉冉尊が最初の人間であるにも関わらず、
人間である天皇家の直系ではなく、天皇家は神の子孫。
摩訶不思議ですね。
人間と神が同時にいて、神の子が天皇家、最初の人は作り物ということでしょうか・・・。
その後、日本史では天皇家が出てくるまでの間、神の子孫と思われるような人物は、
出てこなかったように思うのですが、それは日本史の授業を寝ていたからなのでしょうか・・・。
かのマッカーサーは、日本を占領した後、天皇を殺さずにいた理由が、
日本という国において、天皇の存在は、意識の上で「王」ではなく、
「神」に近いものであると感じ、殺せば暴動が起きると考え、天皇家を残したのだそうです。
日本人が天皇家を神とするならば、税金の一部は神への貢物でしょうか・・・。
天皇家を批判するつもりはないので、この辺にしましょう。
すでに十分非国民ですね・・・。
怖いと思うとき、不安に思うとき、つらいときに、人は心のよりどころを探します。
神道もまた、他宗教と同じように、混沌とした気持ちのよりどころとして定められたものであるはずです。
天皇家が神の血筋であるのは、よりどころを失いたくなかったからでしょう。
私個人は無宗教なので、神の存在を信じているわけではありません。
天皇家は神の血筋というのは、そういった、よりどころを失いたくないという気持ちが生んだ、
後付された事実であると考えます。
それは確認できるものではありませんが、仮に真実でなかったにせよ、
それで救われるのであれば、それが事実であるべきでしょう。
人を救うのは神ではありません。
神を信じ、救われたいと願い、救ってくれる存在を意識化で作り出す気持ち。
それこそが神であり、人を救う絶対的なものなのです。
神道ではありませんが、仏壇で、花を生けるとき、花を仏のほうに向けず、
拝む人間のほうに向けて生けるのは、
仏の像がすなわち仏ではなく、仏は人の中にあると考えるからこそです。
神と名を変えても、仏と名を変えても、
その絶対的な、人を救う存在は、常に人の中にあるのです。